2007.11.19

これも天意か。

 学術書にジャケ買いも無いものだが、東方書店の店頭で平積みされていたカバーを見た瞬間、
「これは買わないわけにいかない」
と思ってしまった。
『戦いの神 中国古代兵学の展開』湯浅邦弘著。

 なにせ十年以上も前から黄帝・蚩尤神話に興味をもってきた人間にとって、このシンプルなカバーにあしらわれた表題と蚩尤神(と、推定されている軍神)の図像は、それだけのインパクトがあったので、小さいながらカバー写真を掲載しているジュンク堂のサイトへリンクしてみた。
(Amazonでもbk1でも、書籍情報が見つからなかった……なぜだろう。)

 開巻早々、黄帝・蚩尤神話の原形に関する先行研究の見解をまとめた一覧表が出てきた時点で、もうひしひしと来るものがある……のだが、実はこの本の着目点は、そうした神話研究の視点とはちょっと違う。
 実のところ蚩尤について書かれているのは三部構成の第一部だけであり、この本を全体のテーマとなっているのは「兵法」と「天道」の関係、そしてそれを関連づける呪術的兵法=兵陰陽の歴史なのだ。

 戦争の意味を「天道」に求めるために、「兵器の発明者」「戦争の神」という古来からの神話を否定されてしまう蚩尤。

 法家も、道家も、そして儒家ですらも戦争の必然性を「天道」の法則性に求めて論じていた漢代の人々。

 戦国時代末(B.C.3世紀)には既に兵法書の中で徹底批判されていながら、「兵士たちの士気を高める方便」として存在を認められ、やがて兵法の百科全書化にともなって兵法書の一角に取り込まれて行く「兵陰陽」=呪術的兵法。

 この本を読了して感じたのが、中国の文化における「天道」への依存の大きさと、宋代以降に顕著になる、中華意識と学問の博物学化だ。

 かなり手応えのある本だが、『孫子』『呉子』『三略』『六韜』と言った兵法書を読んだことがあったり、中国兵法の歴史に興味のある人はチャレンジして見ると面白いと思う。

 強いて問題点を上げるとすれば、税抜きで7,500円という値段くらいか。
 ……学術書だから仕方ないんだけどね。
 東方書店でカード払いなんて、初めてしたよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.03.06

「拙速」を尊んじゃった実例

 ココログには標準でアクセス解析がついているのだが、狂仙洞筆記でアクセス数がダントツに多いのが、2006年1月28日の記事『「拙速」は尊んじゃいけない』だ。
 繰り返しになるが、しばしば孫子の言葉として引用される「兵は拙速を尊ぶ」というフレーズは『孫子』には存在しない。
 『孫子』の「兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを賭(み)ざる成り」という一文を間違えて引用した結果、趣旨が原文とまるっきり違ってしまったものなのだ。
(この辺、詳しくは元記事を参照。)

 ただこの間違い、最近になって使われ始めたものではないらしい。
 前の記事を書いた時は気づかなかったのだが、そもそもは『続日本紀』延暦八年(西暦789年)五月の記事で、当時、東北地方へ出陣中の征東将軍・紀古佐美(きのこさみ)が衣川に陣をしいてから一ヶ月以上動いていないことに腹を立てた桓武天皇が送りつけた叱責文が初出らしい。
 ……実に1200年モノの間違いなのだ。

 これだけ歴史ある間違いだと「すでに間違いとは言えないんじゃないか」と考える人もいるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。

 桓武天皇に「拙速を尊」べ、と言われた遠征軍は、先遣隊四千の兵を動かして蝦夷軍の指導者・阿弖流爲(アテルイ)の所在地を攻撃させたものの、自軍の半数以下の蝦夷勢に包囲攻撃を受けて敗走、逃げる途中に川で溺死した兵だけで千人以上という、惨敗を喫する羽目になってしまった。
 結局、この遠征は失敗し、大伴弟麻呂、坂上田村麻呂らによる再度の遠征を行えたのは5年も後のこととなる。

……やっぱり、「拙速」は尊ばない方が良いんじゃなかろうか。


追記:
 ちなみに自分が『続日本紀』の記述を見つけたのは、Google検索中に、「「拙速を尊ぶ」は『続日本紀』が出典」と明記していたページを見つけたおかげである。
 「またぐぐれば見つかる」と思ってURLを記録しておかなかったせいで、その時見つけたページを見失ってしまった。
 肝心のページにリンクできないことをお詫びします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.02.10

「古代ユーラシアの青銅器」を見に行く

 前日、寝る前に、発作的に中近東文化センター「古代ユーラシアの青銅器」展を見に行こうと思いつく。
 実は先週行こうと思いつつ気力が無くて断念していたのだが、今週はなんとなく行けそうな感じだったので再挑戦することに。
 10時半頃に家を出れば土日にやっている13時からの展示解説に充分間に合うため、朝9時に目覚ましをセットして寝る。

 当日、予定通り9時半に(こら)起床。
 いや、目覚まし鳴った時点で目は覚めていたんだけど、休みの朝は30分くらいぐずぐずしてるのは折り込み済みなので(^^;)。
 予定通り10時半頃に出発。一度、新宿へ出て中央線で三鷹へ向かう。
 乗り継ぎか良かったせいか、11時45分頃には三鷹駅に到着。
 出がけにも朝食(カロリーメイトだが(爆))を済ませてきたけど、展示を見始めると長丁場になるので駅前のケンタッキーで軽く早めの昼食をすませる。

 中近東文化センターには三鷹駅からバスで15分。
 三鷹駅からのルートを選んだのは、ここが一番バスの本数が多い(約10分おきに出る)ため。バスにはすぐ乗れたけど、初めて乗るバス路線は電車より不安が大きい。電車と違って、ボタン押さないと停まってくれないせいだろうか。
 それでも特に問題も無く、目的の西野バス停に到着。
 ホームページから印刷して持ってった地図が今ひとつわかりにくいため、バス停近くの地図判で確認。
 この時、始めてこの場所が深大寺の近くだと気がつく。
 ……土地勘無いなあ。

 ルーテル学院大学、国際基督教大学と並んだ間にある中近東文化センターはかなり閑静で、入口入るまで開いているか不安になったくらいだった(笑)。
 12時半にはついてしまったので、解説の始まる13時まで常設展を見て過ごす。
 エジプトの人型木棺に描かれた有翼神の密集する図に、馬王堆漢墓から見つかった帛画などを連想していると、展示解説が始まるとの館内放送が。
 気がつけば見学者も10人ほどに増えており、予定通り学芸員の方の解説が始まる。

 青銅器時代の意味や青銅器の特徴(特に、錫の含有量が増えるごとに色が赤→金→銀、と変化して、同時に硬く、かつもろくなっていくという説明は参考になった)という前振りから入って、中国~中国北部~イラン~インド~メソポタミア~レヴァント~アナトリアと、ユーラシアをおおむね東から西へ向かって移動する形で実物を見ながら解説を聞く。
 センターの性格上、中国物は守備範囲外(出店された青銅器も、ほとんど出光美術館の所蔵品)でそれほど詳しくないとのことだったが、解説の方はポイントを押さえてわかりやすく、この解説だけで入館料(800円)の元は充分とれた感じだ。

 小一時間の解説を聞いた後、改めて展示を見てまわる。
 解説聞きながらだと、どうしてもじっくり見られないものも出てくるからね。

 その後、同時に展示されていた出光美術館名品選(中近東とは関係ないけれど、これはこれで楽しめた)を見て、館内のカフェで一休み。
 ケーキセットで700円は、こういう場所のカフェとしては良心的かもしれない。
 カフェから見える裏庭のながめが、狭い割にいい感じで気に入った。
 白梅が満開の一歩手前くらいだったなあ。

 体力を回復後、常設展の残りを見てまわる。
 貴重品を並べて「さあどうだ」という感じでは無く、それほど広くないスペースにレプリカや模型、ツボを押さえた実物を配して「知りたくさせる」展示は、見やすくて上手く興味を引いてくれていた。

 たっぷり堪能した後、青銅器展と過去の展示の図録2冊を購入して帰路へ。
 帰りのバス停が行きに降りた場所から少し離れて角を曲がったところにあったため、またちょっと不安になる(^^;)。
 とはいえ実際には何の問題も無く三鷹駅へ帰り着き、そのまま来た道を戻って帰宅。

 展示品や解説についてはまとめてると書き終わらないので、今回は行ってきた日記だけ書いてみた。
 あと一週間しか会期が無いけれど、もし行けるなら見ておいて損の無い展示だと思います。
 スルーしかけてた所を薦めてくれた先達に感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.09

本サイトを更新

 本サイトをおよそ半年ぶりに更新。
 あいかわらず『三皇五帝関連人物リスト』の更新だが、これは「新しい人物を見つければ(そして紹介文をまとめられれば)そのたびに更新し続けられる」というページの特性のおかげだろう。
 ……いや、ほんと言うとネタはもっとあるんだけど、以前みたいに人物名をいちいち画像に起こすのが面倒くさくなっちゃって、更新が滞ってたのだったりする。
 今回からちょっとでも更新が楽になるように、索引と項目タイトルの文字を原則としてUTF8テキスト+CSSで表現するようにしてみた。
(一部、Unicodeでも表示できない文字を含む名前だけは、従来通り画像にしてある。)
 一斉に変更するとそれはそれで面倒なので項目タイトルは手の入ったページのみだけど、索引ページは画像読み込みが大幅に減ってだいぶ軽くなった。
 もともと画像表示はShift-JISで表示できない漢字への対策だったので、Shift-JIS版の更新を停止しちゃった現状では、以前ほど必要性がなくなってたのも事実。

 これで『管子』での黄帝と蚩尤の関係とかも加筆できるように……なればいいなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.09

「目が縦」なオオカミ

 新年早々弔いの詞で申し訳ないが、『楚辞』招魂に、

   豺狼従目にして、往来侁侁たり
  (さいろうじゅうもくにして、おうらいしんしんたり)

 という一節がある。
 この部分の翻訳だが、目加田 誠訳(中国古典文学大系版)では
「縦に目のある豺狼どもが おおぜい行ったりきたりして」
 星川清孝訳(新書漢文大系版)だと
「山犬や狼は目がつり上がっていて、往ったり来たりしてさわいでいる」
 となっている。

 ただ、どちらも三星堆の縦目仮面がが発見される前の訳なので、あのインパクトのある「縦目」は当然考慮されていない。

 あの仮面を見ちゃうと、「豺狼従目にして」ってのは
「山犬や狼が大きく目をむいて
 くらいの意味になるんだろうな。

 ……余談だが、あの縦目仮面を見て最初に思ったのが
  「まるっきりトニーたけざきの世界」
 だったことも、ここに記しておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.04

迫力の唐三彩

 今日、赤坂見附へ行く用事があったのだが、早く終わって時間が空いたので、サントリー美術館でちょうどやっていた唐三彩展を見てきた。
 壷や瓶、水盤と言った器も見事だったが、やっぱり興味の中心は、人物俑や鎮墓獣と言った、いわゆるフィギアっぽいものになりがち(笑)。

 まず、唐三彩の源流として展示されていた、後漢の桃都樹(桃都山という仙山の上にあるという仙木)がいきなりヒット。
 素人とはいえ長年神仙の本など読んできたおかげで「台の部分が三角錐なのは仙山をイメージしてるんだな」とか「台に蝉が浮き彫りされてるのは蝉化=登仙の意味だな」などと一人納得。
(でも、枝先の葉の部分にまで蝉がいるのは、帰って図録の解説読むまで気が付かなかった……。)
 人物俑を見ては昔『中国古代甲冑図鑑』で見た衣服や鎧のパーツを見分けては面白がったり。

 それにしても圧巻は鎮墓獣
 肩に羽根のある獣の胴体に、一方は人面、一方は獣面(狛犬や獅子舞に近い顔)のやつが原則的にペアで作られているらしい。
 人面タイプはねじれた一本角+戟状の脊(十手型のシルエットに板を切り抜いたような背びれ)+ひしゃげたラッパ状というか羽根状の耳、対する獣面タイプは二本の鹿風の角+複雑なシルエットの脊+首の両横を走るたてがみらしきもの、というお約束が守られている。
 ついでに言えば、どちらも偶蹄(二つに割れたひづめ)をしているなあ……などと、唐代をメインに調べている人には常識であろう事を見つけて喜んでいた(笑)。

 それにしても人物俑に中央アジア系の顔をした胡人が多かったり、素性を隠して「イラン製です」と言われたら全く疑わなさそうな装飾の壷があったり、唐代ってのは西域の影響が本当に強い時代だったんだなあ。

 器も綺麗だが、1mを超すサイズの人物俑や鎮墓獣が並ぶ光景はかなりの迫力
 7月11日までやっているので、興味のある方は見に行かれることをおすすめする。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.05.27

細部にこだわりすぎても……。

 以前、何度か見に行ったことのあるサイトを久しぶりに見に行ったら、去年からココログをはじめていたことに気がついた。
 最近の記事が面白かったので過去ログをさかのぼってみたところ、自分が前々から漠然と思っていたことについて、はっきり言及してくれている記事を発見。
 『三国志』を書いた人間にとって、倭人なんてどれだけ意識していたか疑問なのだよな。

睡人亭日常: 邪馬臺国等々

 この記事で引用されている、『明史』における信長らについての記述の微妙な間違いっぷりが、「元祖・外国人の書いた変なニッポン」みたいで面白かった(笑)。

 ……でも、これで「いつかネタにしよう」と思っていたやつがまた一つ消えたか。
 専門家に先を越されちゃどうしようもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)