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2008.09.23

思い出の戦国自衛隊

 ちょっとしたきっかけで半村良『戦国自衛隊』を再読。
 最新装備(といっても執筆当時=1970年代の)とともに自衛隊員30名が戦国時代へタイムスリップ……というと派手派手しいアクションを想像しがちだが、ここでは派手なスペクタクル描写が(まず間違いなく意図的に)抑えられている。
 唐突に違う時代、違う世界(彼らが送り込まれた先は、単純に我々の歴史世界をさかのぼった世界ではなかった)に送り込まれた混乱、そこから何とか立ち直り、否応なしに時代に順応していく自衛隊員たち。
 この作品がいまだに古びないのは、驚くほど淡々とした描写にもかかわらず、伊庭三尉をはじめとする登場人物の心情の移り変わりをうまく描いているからではないだろうか。

 今回読み返した文庫本、じつは、中学生の時に買ったもの。
 それ以前も子供向けの単行本やソノラマ文庫など今で言うライトノベルのたぐいは読んでいたが、いわゆる「大人向け」の文庫本を買ったのは、この時が初めてだった。
 石川賢(当時のクレジットは永井豪となっているが、石川賢の画集に収録されいる)のカバーイラストも、当時はむしろ大人向けの絵に見えたものだ。
 帯がセロテープで補修してあったり、学校へ持って行くときのためにカバーへ名前の頭文字を書いてあったりするのが今となっては非常に痛々しいが(笑)、煽りたてるような所のない、淡々としていながら味わい深い文章に、ずいぶんはまった覚えがある。

 そういえば、上杉謙信の本名=長尾景虎の名前を覚えたのも、この本だったっけ。

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2008.09.19

「現世の最高神」を名乗る意味

 藤巻一保『第六天魔王信長―織田信長と異形の守護神』を読了。
 特に創作などで無神論者として描かれることの多い織田信長の「信仰」について書かれた本で、著者が作家と言うこともあり、際物じゃないかとびくびくしながら読み始めたのだが、これが思いの外面白かった。
「神と仏の礼拝を意としなかった」信長が、実はしばしば神社などに寄進していることは前から知っていたが、その矛盾とも見える行動の理由を信長の神仏観から説明している。
 信長が嫌ったのは実在するかもわからない「来世の幸福」を種に「現世での収奪」を正当化する既存の宗教システムであって、必ずしも霊的な物を全否定していたわけではない。
 実際、石山本願寺との最終和睦(実際は本願寺側の降伏)に際して天皇仲介の元で交わされた起請文に誓う対象として名をあげた神仏のうち、いわゆる「お約束」の名前をのぞけば「……天満大自在天、愛宕、白山権現……」と、すべて「来世の幸福」ではなく「現世利益」を御利益とする名前が並んでいる。
 そしてこれらの神々は、いろいろな象徴や属性によって、大自在天=第六天魔王に習合していく。

 このへん、山本ひろ子『中世神話』あたりの内容を思い出す記述も多くて、読んでいてワクワクしてきた。

 原著が1991年の本(文庫化は2001年)なので若干古い記述もあるが、それでも十分に興味深い本だった。

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2008.09.04

終わりの後に始まりを読む

 戦国の終わりを告げる『関ヶ原』に続いて、戦国の幕開けを描いた『箱根の坂』全三巻を読了。作者は同じく司馬遼太郎
 主人公は伊勢新九郎こと早雲庵宗瑞。北条早雲と行った方が通りがいいだろう。
 執筆当時の通説通り、四十を過ぎてからようやく動き出す伊勢新九郎を見事に描いている。
(最近では、通説より二十歳以上若かった、とする説もあるらしい。→Wikipedia

 強いて言えば、早雲が五十を過ぎてから結婚した妻との間の話を、もう少し読みたかったかもしれない。
 この作品中の早雲は(特に中盤以降)しょっちゅう旅に出ては自ら領内のみならず敵地まで実情を見に行ってしまう人なので、あんまり家庭内の描写がないのだよね。

 それにしてもこの早雲、やることなすこと気の長いこと。
 時代を動かす実力を得ながら、いまだそのことに気づいていない国人衆や農民たちに、ひたすら根気よく自分の考えを浸透させていく。
 戦にしても、絶好の機会が来るまで数年、場合によっては十数年もの時間をかける早雲は、とても人生の折り返し地点を過ぎてから動き始めたスロースターターとは思えない。

 四十を過ぎてからようやく活躍し始め、ついには実力で国を得る早雲の姿は、結構いい年となった自分にとって心強い……と言っても、早雲は若い頃から礼儀作法やら学問やらの素養の積み重ねがあってのこと。
 ふり返ってみるに自分は……。

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2008.09.02

『関ヶ原』を読む

 最近、戦国時代物の歴史小説が読みたくなっている流れで、司馬遼太郎『関ヶ原』全三巻を読破。

 自分はいわゆる「司馬史観」とかって持ち上げ方はどうかと思うし、この本自体も書かれたのが古い分、最新の研究とは違ってきているとか、ケチの付けようはいろいろあると思うが、このおもしろさの前には、そんな些細なことなど問題にならない。
 仕事帰りに本屋で見かけて「そういや読んでなかったよなー」と立ち読みし始めたら止まらなくなり、これは買っていかないといつまでも家に帰れない、くらいの勢いになってしまった。

 印象に残ったシーンも多いが、特に忘れられないところを一つ。
 作中、悪役として描かれ、今までさんざん偽善の限りを尽くしてきた家康が、決死の任務を命じた老臣との別れの酒席が終わった後、一人、何の演技もなく顔を覆って泣く。
 単に悪辣な人物として終わらせない、この辺の描写はさすがだなあ。

 ちなみにこの作品、小説読むのは初めてだけど、20年以上前(1981年)にTBSでドラマ化されたのをリアルタイム見ていて、いまでもその印象が残っている。
 というか、島左近と本多正信(どちらもこのドラマで知った)のイメージは、いまだにあのドラマでの三船俊郎と三国連太郎の姿で浮かんでくるくらいだ。
 森重久弥の徳川家康はもちろん、加藤剛の石田三成も良かったけど、原作と読み比べると「横柄者(へいくわいもの)」と言われた三成にしては、人当たりが良すぎたかもしれない。
 いや、ドラマの主役としては正しいキャスティングだったと思いますが。

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