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2007.03.06

「拙速」を尊んじゃった実例

 ココログには標準でアクセス解析がついているのだが、狂仙洞筆記でアクセス数がダントツに多いのが、2006年1月28日の記事『「拙速」は尊んじゃいけない』だ。
 繰り返しになるが、しばしば孫子の言葉として引用される「兵は拙速を尊ぶ」というフレーズは『孫子』には存在しない。
 『孫子』の「兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを賭(み)ざる成り」という一文を間違えて引用した結果、趣旨が原文とまるっきり違ってしまったものなのだ。
(この辺、詳しくは元記事を参照。)

 ただこの間違い、最近になって使われ始めたものではないらしい。
 前の記事を書いた時は気づかなかったのだが、そもそもは『続日本紀』延暦八年(西暦789年)五月の記事で、当時、東北地方へ出陣中の征東将軍・紀古佐美(きのこさみ)が衣川に陣をしいてから一ヶ月以上動いていないことに腹を立てた桓武天皇が送りつけた叱責文が初出らしい。
 ……実に1200年モノの間違いなのだ。

 これだけ歴史ある間違いだと「すでに間違いとは言えないんじゃないか」と考える人もいるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。

 桓武天皇に「拙速を尊」べ、と言われた遠征軍は、先遣隊四千の兵を動かして蝦夷軍の指導者・阿弖流爲(アテルイ)の所在地を攻撃させたものの、自軍の半数以下の蝦夷勢に包囲攻撃を受けて敗走、逃げる途中に川で溺死した兵だけで千人以上という、惨敗を喫する羽目になってしまった。
 結局、この遠征は失敗し、大伴弟麻呂、坂上田村麻呂らによる再度の遠征を行えたのは5年も後のこととなる。

……やっぱり、「拙速」は尊ばない方が良いんじゃなかろうか。


追記:
 ちなみに自分が『続日本紀』の記述を見つけたのは、Google検索中に、「「拙速を尊ぶ」は『続日本紀』が出典」と明記していたページを見つけたおかげである。
 「またぐぐれば見つかる」と思ってURLを記録しておかなかったせいで、その時見つけたページを見失ってしまった。
 肝心のページにリンクできないことをお詫びします。

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