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2006.04.29

紀元前4世紀の環境破壊

今年の春は黄砂がひどかったそうで、中国の環境破壊の影響が取りざたされていたから……というわけではなく、たまたま「通勤の供に重量の軽い本を」という理由で(^^;)浅野裕一『古代中国の文明観』を読む。

 諸子百家が活躍した春秋戦国時代というのは、同時に人口増加によって環境破壊が進んだ時代でもあった。
 殷のころには森林に覆われゾウが暮らしていた黄河流域は、この頃になると農地の開墾や建材・燃料のための伐採によってほとんどの森林が失われてしまったのだ。
 そんな中で活動した諸子百家の中から、とくに儒家・墨家・道家が自然と人間の関りについてどんな意見を展開したか──というのがこの本の骨子。

 一向に墨子の理想を理解しない弟子たちに苦労していた墨家教団が、大国の侵略から小国を守るための戦闘集団が中心となることで鉅子(教団リーダー)の命令一下、死をも辞さない鉄壁の団結を誇るようになっていく展開や、道家の源流が天体の運行を「気」によって説明する史官(天文官)を源流にもつことの説明はわかりやすく、また近年になって見つかった木簡資料を紹介したりしていて非常に面白かった。

ただ、儒家の解説についてはいくつか気になる点も見つかる。

  • 儒家の意見の代表として上げられている荀子は本人こそ一応儒家とされているが、その弟子の李斯と韓非は秦の統一を支えた法家の大成者であり、実質的に法家につながる人物であること

  • 春秋戦国の環境破壊では必ずといっていいほど触れられる『孟子』の牛山の森林破壊に一言も触れられていないこと

  • 儒家は「身分の高い者が贅沢することを積極的に肯定した」という論調で書かれているが、儒家が肯定したのは「身分相応のぜいたく」であって、その範囲を越えたぜいたくは激しく非難したこと
    (たとえば『論語』八佾篇、諸侯どころかその陪臣に過ぎない季氏が周王と同格の舞い手64人を用意して祭祀を行った時、孔子は「こんなことに我慢できるくらいなら、この世に我慢できないことなんか無い」と激怒した)



などなど、ちょっと見方が一面的過ぎるんじゃないの、という感じなのだ。

 一般向けの本なので単純化した所もあるだろうけど、この著者、どういうわけか儒家に対して何か個人的に恨みでもあるんじゃないかと思えるほど露骨に悪意をもった書き方をしており、そのせいでこの本に書かれた儒家の意見自体が著者に「作られた」虚像のように感じられてしまうのはちょっと問題だと思う。

 確かに、儒家が自然破壊に鈍感、というか重要視していなかったことは事実(『孟子』の牛山の森林破壊だって、それが「都市の近くにあったから」ですまされちゃって文明批判になってないのは確かだ)なんだから、もうちょっとそっちから説明した方が説得力があったんじゃないだろうか。

他のところがいい感じの本なだけに、悪いというより残念な本だった。

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2006.04.25

古書市の発掘品

 仕事先から帰ろうと東池袋駅に向かった所、サンシャインシティで恒例の古書市が開催中なのを知り、急遽、駅から引き返す。
 見て回っているうちに、棚の下に平積みされた大判本の中に『漢魏叢書』と題された本を見つけた。

 中を見ると元は木版であろう原書の影印(原書をそのまま写真製版したもの)が二段組で、ぎっしり1000ページも詰まっている。
 読むのに不都合は無いけどかなり古びているうえ(所々に赤ボールペンの傍線もあった)、どうもセットのうちの一冊目のみのようで(あとで確認したら、巻頭に収録された索引のちょうど半分くらいの内容だった)、そのせいか値段も1000円と手頃。
 肝心の(?)『神異経』やら『述異記』やらといった楽しい所(笑)が収録範囲外なのは痛いが、『白虎通』だの『逸周書』だのといった、名のみ聞いていた書物が収録されているだけで、とりあえずは良しとしよう。

 ただこの本、続刊が手に入らなかった以外にも一つ問題がある。
 しっかりしたハードカバーに辞書風のビニールカバーつきと、分厚さを考えなくてもかなり立派な作りの本なのだが、なぜか収録原本の解説はおろか出版社名すらどこにも記述されていないのだ。
 もちろん奥付もないので、いつごろ出版された本なのかも全く不明。
 もしかしたら、どこぞの大学あたりで学内用に印刷したものが廃棄処分扱いで流出したんだろうか。

 ……え、句読点すら打たれてない漢文の本なんか、読みとおすことができるのかって?
 ほら、唐澤俊一先生も言ってるじゃないですか。
 「そんなささいな問題は考えたこともない」って(爆)。

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2006.04.05

砂漠の咆吼

 ネットで思いのほか評判が良かったので早々に購入したのだが、文庫や新書でない本は通勤に持ち歩くのにちょっと覚悟がいる……というわけで、ずいぶん遅くなってしまったがドナルド・タイスン『ネクロノミコン アルハザードの放浪』を読了。

 ラヴクラフティアンの長年の夢の一つに「ラヴクラフトの創作した魔道書『ネクロノミコン』を再現する」というのがあるが、この本はこの夢をストレートに実現してみせた本である。

『ネクロノミコン』を再現した、というふれこみの本では、ジョージ・ヘイ、コリン・ウィルソン『魔道書ネクロノミコン』が以前からあった。
 これは「ジョン・ディーの残した暗号書は実は『ネクロノミコン』の翻訳で、ラヴクラフトはこれを元ネタにしたのだ」という設定の下に作られた本であり、「こっちが原典」という言い訳によって必ずしもラヴクラフトの著作と一致してなくてもOK、というスタンスで書かれた本だった。

 一方、ドナルド・タイスン版の方は『ネクロノミコン』をラヴクラフトの創作物と認めたうえで、「じゃあ、作中世界の本が実在したらどんな内容だったんだろう」というのをストレートに再現してみせた本だ。
つまり(訳語の違いはともかく)ラヴクラフトの小説に出て来た『ネクロノミコン』の一節がちゃんと出てくるというわけだ。

 体裁はあくまで原書の翻訳というスタンスをとっているため普通の小説とはだいぶ趣が違うが、古典を読みつけた人などには、まさに副題どおり「アルハザードの放浪」の軌跡を面白く読むことができるだろう。

 後書きで訳者の大瀧啓祐氏も書いていたが、この本の功績の一つは「著者・アブドゥル・アルハザードがなぜ「狂えるアラブ人」と呼ばれるに至ったか、また何故ロバ・エル・ハリイェーという無人の砂漠で十年間も過ごしたのか」という点に、一つの解答(というか設定)を出したところだろう。
 序文(ギリシア語訳版の訳者による!)で早々に明かされているが、敬虔なイスラム教徒である美青年が転落した理由を見事に説明した作者の発想はすばらしい。

 著者は実際にグノーシス神秘主義などの魔術関連に傾倒した人だそうで、そのせいか後半は西欧伝統魔術の影響を感じさせる記述も多く、旧支配者などの描写についても(これは意図したものかもしれないが)いかにも「当時の人間の限界の範囲内」で書かれたような感じで書かれている。
 そのため『狂気の山脈にて』『闇に囁くもの』のようなコズミック・ホラーを期待するとちょっと外した気分になるかもしれない。
 しかし『無名都市』『魔宴』、さらには『レッドフックの恐怖』あたりの雰囲気には非常にぴったりくるので、この辺にぴんと来たら手にとってみられるのをお薦めする。

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2006.04.04

最長不更新記録更新

えー、なんか気がつくと2ヶ月以上更新してなかったりします。
決して放棄したわけじゃないんで、また不定期にぼちぼちと書いて行くことにします。

……本の感想にしたって、どうせ読むの遅いんだし、古本の話題も多いし、少しくらい時期はずれになっても構わず書いてしまうことにしよう。

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