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2005.10.15

今だからこその恐怖

 仕事場近くの古本屋に、古いハヤカワ文庫がまとめて入荷していた。
 その中に以前から読んでみたいと思っていたジョン・ウィンダム『海竜めざめる』を発見、早速読んでみた。

 映画に合わせて話題にしたウェルズの『宇宙戦争』以来、異星人の地球侵略を題材にしたSFは多い。
 この物語も、冒頭、新婚旅行中のジャーナリスト夫婦が、船の上から空をよぎるいくつもの火の玉を目撃するところから始まる。
 だが、ここで「異星からの侵略者が、人類側の軍隊と派手にドンパチやる話」を想像した人は、その常識を根底から覆してもらえるだろう。

 世界中で目撃された「火の玉」は、いくつかは軍隊によって撃墜されたりもしたものの、その後も続々と飛来し続ける。
 そんな事件が起こったら世界中が騒然とする……かと思いきや、世間では「ちょっと変わった話題」としか扱われない。
 なぜなら、それらの火の玉は、全てが海中、それも深海へと消えてしまったからだ。

 やがて深海調査艇が、次にその母船が、やがては軍艦や客船といった普通の船が次々と遭難し始める。
 そして気がつくと、人類がまともに相手の姿を見もしないうちに地球の広大な範囲──海が支配されてしまっていたのだ。

 これは怖い話だ。
 いや、何も見た目で怖いシーンがたくさん出るわけではない(もちろん少しはあるけど)。
 この話は「状況」が怖いのだ。

 たとえ全ての海上交通が遮断され、深刻な経済危機に見舞われても、「侵略されている」という危機感をどうしても持ちきれない一般市民。
 決して無為無策というわけでもないのだが、根本的な解決策を見いだせないまま、目先の問題への対処療法に効果があっただけで安心してしまう人々。
 そうして、気がつけばずるずると破滅的な事態に陥ってしまう……。
 この状況、今の時代に生きる我々にとって、妙にリアリティのある怖さがあるのではないだろうか。

 この作品が成功した理由、それは侵略され、支配される場所に「海」を選んだことだろう。
 もしも何物かに支配されたのが陸地(たとえば北海道とか、九州とか、関東一円とか)であったなら、人々はすぐに反応するだろう。
 たとえそれがもっと小さな無人島ひとつであったとしても、目に見える「土地」を占領されたなら、政府が戒厳令を出すと言いだしてもすぐに納得するだろう。
 だが、それが海だったら?

 人は「姿の見えないもの」に対して危機感を持つのはなかなか難しい。
 今の我々は、地球の総面積の三分の二を支配されたことより船舶関連株の暴落を気にしていた人々を笑えるだろうか。

 この本の原著が書かれたのは、なんと1953年。
 半世紀以上前に書かれているというのに、内容が全く古びていないのだ。
 確かにソ連は出てくるし、潜水艇の深度到達記録も当時とは段違いなのだが、それも読んでいるときは全く気にならない。
 ソ連をどこかの適当な国(語り手のいるイギリスに情報の伝わりにくい国ならどこでもよい)に替え、会話に出てくる深海探査の話題をちょっといじりさえすれば、それだけで現代を舞台にしても全く違和感のない話になるのは驚きだ。

 訳者はショート・ショートの大家として有名な星新一で、読みやすく雰囲気もいい名訳である。

 この作品、長らく入手困難というのが本当に惜しい。
 本当に今だからこそ薦めたい本だ。

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