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2005.10.09

やっとたどり着きました

 中国神話伝説関係のサイトなんぞを持っていながら、最近まで『西遊記』を通して読んだ記憶があまりなかった。
 もちろん子供向けの編訳本はいくつも読んだし、かなり以前に中国古典文学大系のやつを読んだ記憶もあるのだが、実は結構重要なエピソードの記憶が曖昧になってたりしていたのだ。

 で、以前から岩波文庫の『西遊記』に挑戦していたのだが……必ず4巻で挫折する。
 実は前に出ていたバージョンの『西遊記』は三巻まで来たところで訳者の方が亡くなってしまい、4巻以降は中野美代子氏が翻訳しているのだ。
 いや、中野氏の翻訳が悪いわけではない。
 翻訳のギャップが激しすぎたのだ。
 三巻までを訳した小野忍氏は、いわゆる講談調というか、漢詩部分などをいかにも書き下し文風に翻訳していたのだが、中野氏の翻訳は「元が庶民向けの口承文芸なのだから」とばかり、思い切り口語訳してあるのだ。
 これはちょっとギャップが激しすぎる。
 また四巻の前半は孫悟空が誤解から破門されるちょっとつらいエピソードだったせいもあって、何度挑戦しても四巻を超えることができなかったのだ。

 そんなこんなで10年以上放置していたのだが、昨年になって状況が変わった。
 十巻までの翻訳を終えた中野美代子氏が、一巻から通しての改訳を刊行しはじめたのだ。

「あのギャップさえなければ読めるだろう」と再挑戦を決意。案の定、最初から通して同じノリの翻訳なら特に引っかかることもなく、ついに全十巻を読み終えた。

 日本の西遊記研究といえば必ず名前の上がる中野美代子氏の訳だけあって、注釈も読みやすく充実している。
 この訳注だが、中野美代子氏がかねてから主張している「明刊本全百回の配列には明確な意図がある」という説に従って書かれている。
 この説に興味のある人は、是非とも読んで確かめて頂きたい。
 自分は……百回本を編集した人間が、エピソードの配列決めるときに考慮したのかもしれない、と思ってます。

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