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2004.03.31

真偽を見極める努力

 先日『異次元を覗く家』を読んだ流れで、同じ作者の『幽霊狩人カーナッキ』を再読。
 いろんなタイプのオカルティストが怪異現象を解決していく物語は数多いが、この連作短編の主人公・カーナッキのように心霊現象ではない場合のトリックを暴く努力をしている主人公は滅多にお目にかからない。
 20世紀初頭に活躍した彼は、綿密な調査や写真機の助けを借りて、しばしば事件が何らかのトリックであることを解明してみせるのだ。
 もちろん、本当の心霊現象に出くわして九死に一生を得ることもしばしばなのだが。

 『異次元を覗く家』とは全く毛色の違う作品だが、これはこれで面白い。

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2004.03.25

家と窖と宇宙と。

 このところまともに書店を回っていなかったので、今週になってようやくハヤカワ文庫の読者アンコールフェアで復刊された本をチェック。
『ペガーナの神々』『異次元を覗く家』を買ってきた。
 まずは初読みのW.H.ホジスン『異次元を覗く家』を読了。
 カバーのあらすじには「怪奇SF」、訳者あとがきには「コズミック・ホラー」とある。SFともファンタジーとも断言しきれないあたり、原題(The House on the Borderland)の通り境界線上にある気がするのが心地よい。
 気楽にすいすい読める文章ではないのだが、読んでいる最中の引き込まれ方はまた格別だった。
 物語に「割り切れる」事を要求する人には向かなそうだが、カバー&口絵イラストとカバーのあらすじを見てピンと来た人は、一読してみることをおすすめする。

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2004.03.23

死んだ気になって生きること

 2月29日の記事のタイトルは、『葉隠』のあまりにも有名な一文「武士道と云は、死ぬ事と見付けたり」をふまえたものだ。
 前々からこの一語だけが有名で、神風特攻的な死に急ぎを奨励する本のように言われているのを疑問に思っていたのだが、新渡戸稲造『武士道』を読んだのをきっかけに手を出してみることにした。
 ……といっても、その分量に恐れをなして原書を読むのは早々にあきらめ、講談社学術文庫の小池喜明『葉隠 武士と「奉公」』を買ってきた。

 主君に張り付いて身辺の用を承る「御側」の職にあった山本常朝の談話を、やはり主君の秘書官役であった田代陣基が記録したのが『葉隠』の中核である。
 主君に対する没我的忠誠論──「忍恋(しのぶこい)」に例えて語られる、相手に知られず、報われずとも一途に影ながら奉仕する態度──なども、あくまで「御側」という特別な立場の影響が強い、というのが著者の見解らしい。

 そもそも、あの「死ぬ事と見付けたり」で始まる一文は、
「毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成りて居る時は、武道に自由を得、一生落度無く家職を仕課すべき也。」
 ──朝夕、死ぬ覚悟で暮らしていけば、武道に通じ一生落度無く責任を果たせる──と結ばれているのである。
 戦場で死ぬのはその場限りのことであり、日々の奉公を決死の覚悟で務め続けることにこそ誇りを持つのが「奉公人」山本常朝の態度なのだ。

 もちろん現代人である自分にはついて行けないような箇所も多いのだが、少なくとも、自分の経歴を顧みて「古武士の代表」みたいに世間に言われることが気恥ずかしいともらしている山本常朝は、以前思っていたほど反感を持つような人物ではなかった。

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2004.03.18

道は、はてしなくつづく。

 近いうちに人に貸そうと思って、『ホビットの冒険』上・下を再読した。
 もう何度も読んだ本なので改めてどうこう言う段階ではないのだが、やはりこの「背景の奥行きの深さ」はいい。
 どの登場人物も、登場してくる以前からの生活がしっかりと意識できる。
 だからこそ、何度も再読しているのだろうな。

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ワイドテレビの存在意義

 新しいTVは月曜に無事到着した。
 それ以来の自分の行動を振り返ると、「せっかくワイドテレビにしたんだから」と、ひたすら「ロード・オブ・ザ・リング」SEEの特典映像やオーディオコメンタリーを見まくっていたような気がするな……。
 いや、気のせいだろう。ゲームとかもしてたし。

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2004.03.11

逃避の果てに

 今日では、即断即決を強制する状況下で、どこまで「優柔不断」を保持できるかと言うことが、人間的であるための重要なよりどころとなりつつある。

 ……というのは、月刊「しにか」最終号に載った別役 実氏の連載コラムの一節だが、この論で行くと、自分は実に人間的な生き方をしているらしい。
 そもそもが「明日出来ることを今日するな」という発想の持ち主の上、別に嫌なことでなくても「現状でベストの判断」が出来ない、と思ったときは、つい結論を先延ばししてしまうタイプである。

 で、先延ばしして何をするかというと、することは「逃避」と決まっているわけで。
 昨日も「0時回っちゃったし、とりあえずPSOでもするか」とテレビに向かってゲームを始めて、20分ほど遊んだところ……。

 ジジジジジジジジジジジジジジジッ、ジッ、ジッ、ジッ、ジッ、ジッ、ぷつん。

 ………………(唖然)。
 ゲーム機ではありません。
 テレビからこんな音がして、それっきり逝ってしまわれました。
 人間、優柔不断でむやみに逃避などするとこんな罰が当たるのだなあ、と反省しつつ、ソフトリセット成功&オープニングデモ開始をディスクの作動音で判断して、ゲームキューブの電源を切ったのでありました。

 だからといって、翌日、サポートセンターに修理費聞いた直後に新品購入を即決してくるのも、われながらいかがなものか。

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2004.03.07

理想化される風景

 以前、古本屋で購入していた中野美代子『奇景の図像学』を読了。
 洋の東西を問わないネタの広さはいつも通り。この本では風景や地形の意味を、主に庭園や図像から読み解く論考やエッセイをまとめてあって、いわば「人の手で加工された風景」に関する話題が中心になっている。
 自分としては、庭石で作る仮山や泉水を配し、たとえ自然に囲まれていてもそれを幾重にも囲い込んで作られる中国の庭園の思考を知ることが出来たのが今回の収穫。
 とはいえ、こういう「感覚」や「思考」ってのは、知ることが出来ても体得するところまでいくのは難しいものなんだが。

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2004.03.03

たまには身近なことを

 自分は団地住まいなのだが、住んでいる区画と道を一本隔てた先からが「市街化調整区域」とやらで、宅地開発できない場所になっている。
 昔は農業用水のため池と田んぼが雑木林に囲まれてあったのだが、今では田んぼの代わりに公園墓地が出来て、そこまで遊歩道(というほどおしゃれではないが)が通っている。
 3カ所ある最寄り駅へはどこへ出るにもバスに乗っていく必要があるが、その間も住宅地と開発し残された雑木林が交互に出てくる景色が広がっている。
 先日、用事で最寄り駅近くへ出たときに、ヒヨドリが椿の花の蜜を吸っているのを見かけた。
 いや、その鳥がヒヨドリであることも、花をつついていたのが蜜を吸っていることも、帰ってきてから野鳥図鑑を見てわかったことなのだが。
 日曜には、例の公園墓地へ続く遊歩道で、ウグイスの鳴き声を聞いた。
 根っから町中の暮らしになれた軟弱者にとって、近所でこういう光景が見られるのは嬉しいね。

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